STORY2021-04-30

創業60年、 親の代から受け継がれる 高品質な服作り

FiTOでは、お客さまから発注のあった衣服の縫製を信頼する工場に依頼しています。そのひとつが中島縫製株式会社。創業から約60年、技術力の高さを維持しすぐれた品質の衣服を作り続けています。代表の中島諭一さんに話をお聞きしました。

中島 諭一

中島 諭一Yuichi Nakajima

中島縫製株式会社 代表取締役

群馬県高崎市で紳士服や婦人服を取り扱う縫製工場

両親の後を継いで縫製工場の2代目に

このあたりはもともと縫製工場が多いのですか。

中島(以下、敬称略):昔は高崎市だけで縫製屋さんが12社あって、うちより規模の大きい工場もいくつかありました。現在は減りに減って、ちゃんと従業員を雇って稼働している工場はうちだけになってしまいました。悲しいことに、給料の未払いなどでなくなっていく工場が多いんです。
高崎だけでなく全国的に同じ比率でしょうね。今後、縫製屋さんがどのように継続できるのか。厳しい時代ですね。

事務所にて、マスクをつけた中島さんが正面を向いている

中島縫製さんは創業してどのくらいになりますか。

中島:もともとは母が内職がてらに縫製をはじめて、それがだんだん大きくなって工場になりました。私は38歳のときに東京からこっちに戻ってきて、親の後を継ぎました。親父は20年以上やってるから、もう60年近くになるかな。

中島さんは工場を継ぐ前、しばらく東京に住んでいたのですか。

中島:はい。高崎に戻って来てから35年以上経つけど、その前はずっと東京でした。高校卒業後、大学に行きながら新聞配達やったり、バーテンダーやウェイターなどもやりました。鉄道で夜に荷物おろす仕事したあと、また朝学校に行くっていうこともしてましたね。大学では経済学部だったんですけど、いまそれが身になってるかな。
就職してからは、コンピューターのタッチパネルの営業をしてたんです。まだパソコンが普及していないブラウン管の時代でした。タッチするとXY軸を感知する入力装置を売っていました。

建物外装に看板として中島縫製株式会社の文字が掲示されている

縫製とは全く異なる仕事をされてきたのですね。何がきっかけで工場を工場を継ぐことになったのですか。

中島:親がもう70歳になって、私ももう「やりたくない」なんて言ってられないから、仕事は仕事だと割り切って継ぐことにしたんです。経営なんてはじめてだったから、右も左もわからない状態でしたよ。いまの縫製屋さんは2代目が多いですね。厳しいこの業界で順調に経営して3代目までもっていくのは難しいかもしれません。

ユニフォーム・作業着から、アパレルの服作りへ

創業時は何を作っていたんですか。

中島:長い間ユニフォームや作業着を作っていましたが、私がきて10年くらい経ってから海外生産に切り替わってしまって。全部中国で生産することになり、うちは仕事がなくなっちゃたんですよね。それから6年くらいは苦労しました。従業員25人抱えてましたから大変でしたよ。
そのあとアパレル業界に入っていって、やっと食べていけるようになりました。
いまは中国が当時の日本と同じような状況に陥ってるんじゃないかな。工場がインドネシアやベトナムに移動してしまい、中国国内では6~10万くらいの低月給になっています。

ミシンで縫製する女性従業員の後ろ姿

現在は従業員さん何名で、主にどんな服を作っていますか。

中島:従業員は14名で、そのうち海外研修生が7名います。研修生は7名全員中国人です。われわれは中国で研修生を募集してるんですよ。中国では50歳くらいが定年だから、40代が多く集まります。25年くらい前は、中国で募集かけると100人200人集まったんですよ。当時中国の月給は日本の1/10だったから、日本で働いた方が稼げるんです。でもいまは日本の給料もそんなに多くないから、中国で募集かけてもなかなか集まらなくなりましたね。
いま、うちでメインで作っているのはアメカジの会社のウェア。アロハシャツなどの柄物シャツが多いです。

若い人が少しでも希望を持てるような仕事になってほしい

木島さん、中島縫製さんの魅力はどんなところだと思いますか。

フクル木島:工場の規模と技術力の高さですね。高崎で10人以上の規模感でやってる工場はここ以外にありません。関東圏はどんどん減っています。
技術力で言うと、例えば柄物のシャツなどの縫製技術の高さはすばらしいです。最初に縫った工場だと柄合わせがうまくいかず、ここに持ち込まれたものもあります。

壁の柱に、発注内容が書かれた型紙が何十枚も吊るしてある様子

中島:アロハシャツは、ポケットの柄を合わせるのが大変なんですよね。レーヨン生地も難しい。

木島:吸湿性があるから縮みやすいんですよね。

中島:レーヨンは作ったあとに一度洗ってから納品しないと、縮んじゃう。縮むのを想定して作らないといけない。だからレーヨンは難しくて縫えるところが少ないんですよね。うちは一年中こういったものばかり作ってますよ。

中島さんは、いまの縫製業界をどう思いますか。

中島:日本では縫製人口が減少しています。一方で世界のブランドを見てみると、みんなイキイキとやっているんですよね。日本ではブランド名や会社名を言われても、それがどこにあるかわからない。海外で「知ってますか」と尋ねても誰も知らない。その程度なんです。日本にはそこまで持っていける人がいないということですよね。
だから、日本の縫製業界は発展しないんです。「職業としてやってみたい」という若い人たちが希望を持てるような仕事じゃない。

もう少し国がバックアップしてくれればいいですよね。縫製業界に限らず、古来からある「匠」とよばれている人たちも、何も保証されていません。あれだけのすばらしい技術をもっているのに、バックアップは受けていないんです。だから後継者が出てこない。日本はもっと職人さんを大事にすべきだと思います。

でもこの間、うれしいことがあって。大学生の女の子がウェブサイトを見てやって来たんですよ。絵コンテ持って、“こういうものが作りたいから雇ってほしい”ってね。
「じゃあとにかく一回作ってみなさい」と言ったんだけど、その子、全く作れなかったんです。それがこの仕事だし、この業界の現実。服は簡単に作れるものじゃないし、厳しい世界だから、そこをよく確認してからまた来なさいと言いました。
それでもやはりうれしかったですね。どういう形であれ、この業界に入りたいっていう若い人がいるっていうのはありがたいことだし、大事にしていきたいと思います。

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取材・撮影株式会社necco

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